新型ウィルス感染は、まだまだ予断を許さない状況が続いています。
春先からこれまでの間、見えない危険・恐怖にずっと曝され、東京オリンピックを数ヶ月後に控え、沸いていた(浮かれていた?)日本が、かなり前のことのように思えます。
漠然とした不安に駆られている今だからこそ、生きることの意味を考え、そしてこれまでは「縁起でもない」、と避けられていた「介護」や「死」について、そして「人生の最終段階」をどう迎え、どう過ごしたいかについて、じっくり考える機会なのではないかと思います。
高齢の方に限らず、大病や大怪我をしたり、手術の経験がある方は、もしかすると人生の最終段階について考えたことがあるかもしれません。
また昨年秋、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)の新しい愛称である「人生会議」は、ポスター騒動で多くの方に知られるところとなりましたので、既に取り組んでおられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
人生会議って何?
自分で判断できるうちに、自分にとって、より良い介護、より良い治療が受けられるよう、家族や親しい人、主治医などと話し合い、思いを伝えておくこと、それが「人生会議」です。
ホームページ上から入力し、プリントアウトすることもできます。また、一部のエンディングノートには、終末期医療についてのページがあるものもあります。
ポイントは、書いたこと自体やその内容を、きちんと家族に話しておくことです。
誰にも言わず、記入したものを金庫に片付けておいても、自分の思いは決して伝わることはありませんので、注意しましょう。
詳しくは人生会議のホームページをご参照ください。
自分の生き方、死に方
自分の生き方や進むべき道を、自由に決められないことがあるように、死に方も自由には決められないことがほとんどだと思います。
当然ながら医師は患者の命を助けようとしますし、家族もそれに同意するでしょう。
いわゆる「尊厳死」を望む方のために、延命治療を中止するだけでなく、痛みや苦痛などを取り除いて安らかな最期を迎えられるよう、終末期医療に対する事前指示書や自分の意志を残すためのお手伝いをしてくださる団体が「日本尊厳死協会」です。
医療従事者などが人工呼吸器を故意に外したり、安楽死のために薬物を投与することは、日本の法律上では犯罪になってしまいます。
折しも先日、難病患者からの依頼で薬物を投与し、死に至らしめたということで、医師2名が逮捕されました。
話すことができない患者は、どういう気持ちで見ず知らずの医師を頼ったのでしょう。
今となっては知るよしもありません。
とても難しい問題ですが、安楽死と尊厳死は全く意味が異なります。
この事件に関する尊厳死協会の見解はこちらです。ご参照ください。
揺れる思い…
自分の最期をどう迎えたいか、元気なとき、あるいは近い人を亡くしたばかりのとき、その時々によって、考え方、感じ方は異なると思います。
また、死の間際で、「生きたい」と強く思うかもしれません。
家族は、どういう姿であっても、生きていてくれさえすれば…と思うでしょう。
そんな思いを受けて、自分だけの人生ではない、人のためにも自分自身は強く生きていかなくてはならない、という思いに至るときもあるでしょう。
「延命措置はしないでください」と予め告げていたとしても、苦しそうにしている家族を見たときに、「何もしないでください」という勇気はあるでしょうか?人工呼吸器やエクモが不足し、トリアージが必要になった場合、助かるかもしれない命を見捨てるのか?と誰もが思ってしまうのではないでしょうか。
そして自分の呼吸が苦しくなったときに、「やっぱり助けて」と叫ぶかもしれません。
思いは揺れていい、変わってもいいと思います。
エンディングノートも遺言書も、途中で考えが変わったらいくらでも書き直せばいいし、家族と十分話し合えばいいし、最後の最後になって、足掻いてもよいのだと思います。
生きてきた証として
一人で生まれ、一人で生きてきた人はいませんし、残念ながら、死なない人もいません。
自分の最期はどうありたいか、自分が残してきたものをどうして欲しいか、その思いをきちんと形にして残すことは、残された家族や大切な人に対する責任だと思いますし、自分が生きてきた証にもなるのではないでしょうか。
そのための第一歩は「人生会議」から。
そしてエンディングノートや遺言で思いをしっかり残し、悔いを残さず、残された人生をしっかりと歩んでいきたいですね。
一新総合法律事務所では、遺言やエンディングノートのご相談を初回無料で承ります。お気軽にお問い合わせください。