11月30日は「人生会議の日」です
またまた語呂合わせの話で恐縮です。
11月30日は「いい看取り・看取られ」ということで、2018年に「人生会議の日」と制定されました。
(昨年はポスター騒動があり、「人生会議」ということば自体が皆様の目に触れる機会が多かったのですが、今年はコロナ禍のせいか、残念ながら厚労省からの積極的な働きかけ・呼びかけは全く見られません。)
以前、もしもの場合にどういうケアを受けたいかについて、家族と話し合いをしてみましょう、という内容のコラムを書かせていただきました。
とはいえ、感染拡大がおさまらず、なかなか帰省もままならない中、ようやく顔を合わせられた親に対し、唐突に「誰から介護してもらいたい?」なんて聞きづらいですし、親からしても、「オレが倒れたらおまえに介護して欲しい」とは、なかなか言い出せないのではないでしょうか。
介護や急に訪れるもしものときのことについては、聞き出しにくいし、言い出しにくいことです。
でもお互いに自分の望んでいることや、自分ができることを話し合っておかなければ、「親は自分が忙しいことを知っているから無理は言わないだろう」、「あの子は優しい子だから何かあったら駆けつけてくれるはず」、という思い込みが先行してしまい、結局自分が思い描いていたようなケアを受けることはできなくなってしまうでしょう。
終活と人生会議
大きなカテゴリとしては、人生会議も終活に括られるのかもしれません。
でも、人生会議がエンディングノートや遺言書を遺すことと決定的に違うのは、人生の終焉や自分が死んでしまった後どうするか、どうして欲しいかを考えるのではなく、もしもの場合には自分はどう生きたいか、どう生き抜くのか、そのときに自分がして欲しいこと、あるいはして欲しくないことなど、生きている間に自分の身に起きてしまう出来事に対し、家族やかかりつけ医、周囲の人たちと一緒に考えて共有しておくという意味では、全く違うものともいえるのではないでしょうか。
たとえ事故で寝たきりになり身体が動かなくなっても、ベッドの側にいる医師と家族の間で交わされている会話はしっかり聞こえたり、認知症を患い、会話が以前のように成立しなくても、感情は最後まで残ると言われています。
今まで大切にしてきたモノを整理する、断捨離をすることも重要ですが、自分の心を整理し、いざというときに備えることはとても大切だと思います。
LET’S人生会議!
遺言書を書き直せるのと同様に、人生会議は気持ちが変わったら何度でも話し合い、どんどん内容を変えていくことができます。
むしろ何度も話し合うことで、その人の生き様や考え方をより深く知ることができるようになり、より相応しいケアや落ち着いた「看取り・看取られ」ができるようになるのではないでしょうか。
さあ、実際に人生会議をやってみましょう!
※上記外部サイトでは、「もしもの時にどう生きたいか」をいくつかの問いに答える形式で入力できるフォームがあります。
ぜひお試しください。
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